父が車に撥ねられ集中治療室に
「父が車に撥ねられ集中治療室にいる」
という電話を2日の午後、屋上でのんびりしている時に受け、とりあえず娘と病院(実家のすぐ近く)へ向かいました。
「まだ急にどうこうということはない」と言っていたけれど、何しろ集中治療室!!
急いだけれど、ぎりぎりで夜の面会時間に間に合わず。
その日は実家へ泊って次の日に面会。
顔はあちこち内出血して、管が色々付いて、痛々しいけれど、話はできるし手足もバタバタ動かしていて元気そう。
「もう歩けるから、退院したいんだけどなあ」と何度も言ってる。
母と卓球へ行った帰りに、父だけ荷物を持って自転車で先に帰宅途中、轢かれたらしい。
幸運なことに、どこかからの帰りの救急車が通りかかり(!!)目撃者もとどまっていてくれて、横断歩道の上で介抱されていたらしい。
でも、不幸なこともあって、骨折などではなく、頸椎損傷という難しいケガになってしまいました・・・・
それでも意識があって話せるのは幸運でした・・・・
頸椎の上のほうの損傷で、腹式呼吸しかできない事から、呼吸筋などの麻痺が疑われ、呼吸できなくなる恐れもあるそう。(;ω;)
でも今は普通に息をしているし、話もできてる。
事故から2,3日が山場らしいので、ドキドキしながら実家に泊まり続けました。
日帰りの予定だったのに、帰宅は5日。新調した下着と靴下と長袖Tシャツ以外は同じ服でした。。。。
でも、三泊もしたおかげで、母を励ませただろうし、ウォークマンやヘッドホン等買って、童謡、流行歌謡曲など父の大好きな曲をたくさん入れてあげられました。
「いつもは断固としてイヤホンやヘッドホンはしない」と母が言っていたけれど、
今回ばかりは大喜びしてたそうで、本当によかった。
「俺の好きな歌、○○はよくこんなに沢山知っていたなあ!」
母が一番好きな曲を最初に設定していたのですが(´-`;)
まあ、私も知らない曲まで父が歌っているので知ってるくらいだし(「ラバウル航空隊」とか「金の星座」とか)
色々バランスよく選んで入れましたが。
もう初日から、「もう退院したいんだけど」と言っていたけれど、
「これでしばらくここにいてもいい」と言っていたそうですヾ(*´∀`*)ノ
東慶寺。・・・汚い写真になってしまってますが・・・
さすがに梅はここ、という感じ。
(・・・一カ月前です;)
久しぶりに寄った江の島。
前回はたしか娘が10歳くらいだったから、14年も前!!
たしか、じゃがバターがすごく美味しかったのを憶えてます。
いつも見ているじゃがバターと違って、ちょこっと甘い衣がついて揚がっていて、あれは美味しかったなあ。
今でもやってました。
子供たちが小さい、あまり周りを見てる暇がないのよね。
こんな所通ったかな?という所ばかりでした。
6回は来てる筈なのに。
2回は登った筈なんだけど・・・
あんな、外へ出られる展望場所あったかしらん。
階段を下りて来たのは憶えてる、こわかった( ̄- ̄;
皆がカメラを構える真ん中で悠々と歩いてる猫ちゃん。
平日だというのに結構な人の数。(車の中から)
またまた何かの聖地?よくドラマに登場する場所だしね。
この上のリハビリ病院に舅が入院していて半年通っていたのですが、その当時はまだそれほど賑わっていなかった。
ミルが江ノ電を怖がるので抱っこされながら坂道を降りていく姿を眺めつつ、海へ向かったものでした。
(日曜日のお見舞いは、ミルと家族つき。ずっと病室にいるのは大変だしミルの散歩がてら海へ行っていました)
オリンピックに向けて整備が進んでますね。
来週からも実家で過ごそうと思っていたけれど、今度母が疲れた時や具合の悪い時に来てほしいとのことで、今回はひとまず自宅にとどまっていることにしました。
頸椎損傷による呼吸筋麻痺や、そのリハビリについて、人工呼吸のNPPV(→顔を覆うマスクで) TPPV(→気管切開の)等について、色々調べました。
でも、末の弟の奥さんはお医者さんだし、説明を一緒に聴いてくれるそうだし、すぐ下の弟は得意の交渉術で保険会社との話し合いに来てくれるし、私の出来ることは、もうほぼなし。
これからリハビリに入り、自宅に帰った後に、役目が出来るかな。
実家から娘と帰るバスの中、元気そうな白髪の夫婦や、元気そうなお爺さんを見かけると、いいなあと羨ましく、チューブがたくさんついて、内出血してベッドで動けない父の姿を思い出し、涙があふれてしまいましたが・・・・(。>_<。)
何しろ、一週間のうち6日も予定があって、自転車で碁会所や、公民館や、カラオケや卓球へ出かけてるアクティブな父なのです。
母からの今日の面会の喜んだ様子を聴いて、随分ほっとできました・・・・・(*'-'*)
どんどん呼吸筋のリハビリが進んで、まずは水が飲めますように・・・・(-人-)
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